練習ではできるのに、、、
練習試合だと勝てるのに、、、
試合になると打てないです、、、
本番の試合になると発揮できません、、、
僕も練習でしてきたことをまったく発揮できなかった事もあるので、お気持ち察します。
「今日は自分の日ではなかった!?」そう思うようにしていましたが、ここでいえるのはその時期はとても質の低い練習をしていたのは確かです。
今日はその練習の質にまつわることをお伝えしていきたいと思います。
試合と同じテンションで練習に取り組めているか?
練習の成果を試合で発揮するには練習を試合と同じ緊張感にすることです。少し昨日の内容に付随しますが、
オープンスペースができた時にどのように攻めるか?そのままスペースに打つのか、もしくは戻るスピードが乗っている身体の逆に打つのか?
もしくはスペースができたとしても相手のショットに威力があればディフェンスをしないといけないのか?
オフェンス、ディフェンス供に、状況に応じてどのようにして効果的なショットを打ち相手の嫌がる場所へ打つことができるか。
このトランジションの判断が的確にそしてスムーズにゲームの中で発揮することによって相手に緊張感を与えることができます。
ゲームの中ではこのような積み重ねでミスを誘い、攻撃を封じたり、打てなくさせたりディフェンスに追いやったりすることができるのです。
練習の質を高める
練習の中では少しのブレもなく正確に取り組まなければ試合では当然と感じている緊張感(怖さ)を再現することはできません。
例えボールがコート内に入っていたとしても、精度が低かったり無意味なショットは試合ではすぐに攻められてしまいます。
バックハンドクロスコートの精度がバラバラでもコートの中に収まっていれば何も考えず練習を進めてしまいます。試合ではそうはいきません。フォアで回り込まれて攻められてしまいます。回り込まれるのが気になってミスを犯してしまいます。
ただし団体スポーツに比べて特にテニスは感覚優先。体系立てたり自然とやってしまう行為を抑えることにとても抵抗を感じる選手が少なくありません。
ストレスのない練習は練習ではない
ストレスがかからない練習は練習ではありません。そのストレスはどの競技にも起こりえることだと思っています。サッカーも監督が替わればプレースタイルも変わり伸ばす部分もあれば抑えられる部分もでてきます。アスリートとして必ず耐えるべきものではないかと思います。
自由なプレー、抑えないプレーなど言いますが僕はケースバイケースだと思います。プレー原則など理解し共有しあえば自由にプレーをしても問題ありません。がしかし、
そこにも行き着いていないのにその主張はまったく違います。
白いキャンバスを与えるのが指導といえるのか?
指導者の側もそのような風潮で、制限をかけずに自由にプレーをさせる。自ら白いキャンバスを与えて自由に書いてくださいと何も題材を与えません。
これって自由なプレーといえるのでしょうか?無責任以外なにものでもないと思っています。制限ある中でこそ創造性が生まれます。
最後に
多分僕のこのウェブサイトを観ている方は選手志向や選手に携わる方が観ているかたも追われると思いますが、自分のスタイルを明確にしておきます。試合でストレスを乗り切るために練習でストレスをかける。これが僕のフィロソフィーであり管理こそ強くなる道であると思っています。